■大久保長安陣屋跡
大久保石見守長安の生家は武田家の家臣でしたが、武田家滅亡により徳川家に仕えました。関東総奉行を務める一方で鉱山経営の才能を買われて金山奉行となりました。陣屋の周りには関東十八代官の屋敷が並び、八王子の都市計画はこの陣屋を中心に行われたといわれます。八王子陣屋にあっては武田遺臣を中心に八王子千人同心を組織して、西方への守りの拠点としました。江戸の西方への防衛線は多摩川と甲州境の子仏峠にあり、千人同心をその守備隊としました。
金山開発に功績を重さ・長さの単位を決めた尺貫法を制定、五街道に一里塚を築き、宿駅制度、伝馬制度を実施するなど街道整備にも尽くしました。慶長十八年に病死すると徳川家康は、「不正蓄財」を理由に7人の息子を処刑、埋葬した屍を掘り出し晒し首にし、親類縁者の大名を改易・断絶の処分にしました。「大久保長安事件」として全国の諸大名たちに影響を与えました。
■産千代稲荷大明神
関東十八代官の頭、大久保石見守長安の陣屋内の鬼門除の守護神として建立されました。大木が繁り稲荷森といわれました。神社に伝わるきつね伝説などから安産福徳の神と崇拝されています。当時は産千代稲荷神社のある小門町全域と上野町一部が陣屋の屋敷地だったようです。なお、産千代稲荷神社の入口の脇に大きな「大久保岩見守長安陣屋跡」の碑が建てられています。 |