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@ 景徳院


■景徳院
 1582(天正10)年、武田勝頼は織田信長・徳川家康の連合軍との戦いに敗れ、最期を遂げました。徳川家康は後に武田勝頼の冥福を祈るために建立したのが、この景徳院でした。
 境内には武田勝頼、北条夫人(勝頼夫人)、武田信勝の墓、辞世の句碑、没頭地蔵尊などがあります。また、武田勝頼、北条夫人(勝頼夫人)の自刃の場所といわれる「自害石」が今も残されています。

■武田勝頼の墓
 武田勝頼は武田信玄の第4子で、信玄の没後その遺志をつぎ天下統一のため努力したが、天正3年(1575)5月長篠の戦に破れてから幾度かの戦いにも武運つたなく、天正10年3月11日この地において、織田・徳川の連合軍と戦い一族と共に自害して果てた。
 時に、勝頼37歳、夫人19歳、信勝16歳であった。
 新羅三郎義光以来29代495年の武田家の歴史もここに終わりを告げたのであるが、同年7月徳川家康が入国の時、勝頼以下約50名の菩提のため田野寺を建てた。これが現在の景徳院である。
  (この項、説明板より引用。以下省略)




































































生害石
上・武田勝頼  下・北条夫人

















武田勝頼の墓
左 信勝   中央 勝頼  右 北条夫人  両端 殉難者












山 門











































本堂






















































記念撮影






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