◆宗関寺
八王子城の東麓にある宗関寺は、宗派は曹洞宗で山号を朝遊山と称します。延喜年間(10世紀初め)華厳菩薩が開基した寺です。後に後北条家の北条氏康次男(一説には三男ともいわれる)氏照が、永禄7(1564)年に牛頭山寺として再興しました。
天正18(1590)年の八王子城の落城の際に本堂などの建物は焼け落ちましたが、氏照百回忌のおりに菩提を弔うため再興し、氏照の法名から「宗関寺」と命名しました。寺宝は北条氏照の首を包んだといわれる「血染めの袈裟」です。
◆宗関寺の銅造梵鐘
この梵鐘は、元禄2年(1689)7月11日、宗関寺開基北条氏照百回忌供養のため鋳造されたものである。鋳工は椎名伊予良寛、同兵庫重長と銘文にある。寄進した中山信治は八王子城落城の折、討ち死にした中山家の孫にあたり、水戸藩家老・中山家三代目当主。
口径72.5p、高さ1.5mで、釣手に竜頭をあしらい、乳の間には一間五段五列の乳頭、草の間には連続唐草文が鋳出されたみごとな梵鐘である。池の間には、北条氏照百回忌追悼詩文が刻まれ、資料的にも貴重である。 (以下略 梵鐘説明板より引用)
◆北条氏照の墓
宗関寺から八王子城跡に歩いていると右側に「北条氏照の墓入口」の標識があります。氏照の墓はここから歩いて5分ほどです。墓の手前は急な階段状の坂となっています。
氏照は、豊臣軍の小田原攻めで小田原城が開城した後に城下で兄氏政とともに切腹しました。 宗関寺の氏照の墓は、元禄2(1689)年、氏照百回忌に家臣の孫にあたる中山信治によって建立されたものです。中央の墓石の正面には「青霄院殿透岳宗関大居士」と氏照の戒名が刻まれています。また両側にある墓石は家臣の狩野一庵と中山家範の墓となっています。
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