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@ 桂福寺〜近藤勇生家跡



桂福寺
(東京都八王子市)


  曹洞宗治龍山桂福禅寺。寺宝の山門は、朱塗りの鐘楼山門で木造欅造り寄棟茅葺二階建て高さ約10メートル
で調和のとれた美しい寺院建造物です。市指定の重要文化財になっています。
  また武術の天然理心流の開祖近藤内蔵之助長裕、二代目近藤三助方昌の菩提寺として知られています。三助
は戸吹村の名主坂本戸右衛門の長男で剣士として知られていました。開祖内蔵助には実子がなく三助が養子にな
り、二代目を継ぎました。三助の養子になり三代目を継いだのが、近藤勇の養父近藤周助邦武でした。四代目が幕
末の志士新選組局長の近藤勇です。



















































  
左:「剣聖光武神」と書かれた屋根小屋の板額   右:屋根小屋の板奉額。継承者の名が記されている






































旧明化小学校舎(戸吹公会堂)
(桂福寺横・八王子市戸吹町)


 明治5年8月に新しい教育制度のもとに学制が布かれました。明治8年、八王子地域には35の小学校が寺や民
家を借りて開校されました。
 この明化小学校は寺を借りて開校されましたが、翌9年にこの地に校舎を新築しました。建物は洋風の趣を取り入
れて建てられました。 現在は町内会の会館として利用されています。











  















近藤勇生家跡
(東京都三鷹市)


 近藤勇の生家は龍源寺から徒歩で2、3分のところにあります。近藤勇は天保5年(1834年)に生れ、16歳のとき
に天然理心流三代目近藤周助の養子になりました。文久3年(1863年)に土方歳三ら仲間とともに「新撰組」を結成し
ました。幕末の暗殺集団(?)とも称され、慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いに敗退して解散の運命をたどりました。そ
の間数年の歳月しか流れていませんでした。                                         
 近藤勇・土方歳三らは故郷日野に戻り、日野農兵隊の協力もあり「甲陽鎮撫隊』を結成しましたが、山梨の甲府、
勝沼で官軍と戦い、敗れて再起を期しましたが官軍に囲まれ捕まりました。慶応4年4月25日に板橋刑場で斬首さ
れました。35歳のときでした。                                                  
 甥の宮川勇五郎は板橋刑場で首の無い近藤勇の遺体を掘り起こし、生家近くの龍源寺に埋葬したということです。











  








近藤勇を祀った近藤神社























往時を偲ばせる道場











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